SMAP以上の海外ロック史!壮絶解散・脱退エピソード!ジョイ・ディヴィジョン編 - エンタメ福福

SMAP以上の海外ロック史!壮絶解散・脱退エピソード!ジョイ・ディヴィジョン編

SMAP以上の海外ロック史!壮絶解散・脱退エピソード!ジョイ・ディヴィジョン編

日本ではSMAP解散騒動でマスコミは大騒ぎでしたが、
海外ロックの世界では壮絶な解散・脱退エピソードが
数多い・・・。

「TOCANA」様に掲載の

『SMAP騒動はまだ甘い? 海外ロック史に残る
“超ゴタゴタ”解散・脱退エピソード4選!』


では有名な海外ロック史に残る解散・脱退をご紹介しています。

1、ジョイ・ディヴィジョン

イギリスのポストパンクであり、のちのオルタナティブ・ロックに
多大な影響を与えたバンド、ジョイ・ディヴィジョン

そのジョイ・ディヴィジョンが伝説のバンドとなったのは
ボーカルのイアン・カーチスが自殺してしまったから。

バンドの作詞家でもあったイアン・カーチス。

イアン・カーチスは公務員として職業安定所に勤務、高校からの
ガールフレンドのデボラと結婚もしていました。

ジョイ・ディヴィジョンとしてのバンド活動をしていたある日、
てんかんの発作が起こってしまい、それ以来てんかんの発作に
怯える日々を送ることに。

その後一人娘も誕生し、バンド活動も軌道に乗るものの、
ベルギー人女性のアニック・オノレと恋に落ち、不倫関係に発展。

バンドが売れ始め、ハードスケジュールとなり、うつ病や
てんかんの発作も悪化、そして妻と愛人との三角関係にも悩み、
初の全米ツアー出発の前日、首吊り自殺を図ったのでした。
享年23歳。

イアン・カーチスはジョイ・ディヴィジョンとしてアルバム
「アンノウン・プレジャーズ」「クローサー」、名曲の
「ラブ・ウィル・テア・アス・アパート」を残し、この世を去って
しまいました。


バンドはその後、ジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダー
名前を変え、音楽性もエレクトロ・ポップに変更。

大ヒット曲「ブルー・マンデー」でニュー・オーダーは
ジョイ・ディヴィジョンでは成し得なかった世界的なヒットを
物したのは何という皮肉でしょうか?

イアン・カーチスが亡くなった80年は音楽が商業的になった
幕開けの年と言っても良いでしょう。

芸術家肌と思われるイアン・カーチス、もし彼が神経の図太い、
傲慢なタイプだったら自殺はしてなかったと思いますが、そうだとしたら
ジョイ・ディヴィジョンでの名曲は生まれなかったでしょうね。
(ということでニュー・オーダーも生まれてなかったと)


とはいえ、イアン・カーチス亡き後、妻・デボラ、愛人・アニックは
愛する者を失ったショックは計り知れなかったでしょう。

そ・し・て、アメリカ進出を目論んでいたジョイ・ディヴィジョンの残党や
所属していたファクトリー・レコードや、スタッフ、アメリカの興行主
などのショックたるや・・・。

商売あがったりですからね・・・、アメリカ進出の契約が反故になったのを
どのように解決したのか気になるところですが・・・。

「TOCANA」様は

『母国イギリスにとどまらず、世界的にその革新的な音楽性と陰鬱で
独特な世界観が評価』

『バンドの特徴である陰鬱な詞の数々は自身の苦悩を源泉にしていたのかも
しれないが、1980年、この異才は、まさにバンドのキャリアが大きく
花開かんとするところで、縊死という最悪の選択をしてしまった。』

と掲載。

ジョイ・ディヴィジョンは実質活動期間はわずか3年ではありましたが、
イアン・カーチスの才能と共に激しく濃い”人生”を駆け抜けた素晴らしい
バンドでした。


ドキュメンタリー映画「JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン」
久しぶりにまた観ようかなと思いました。(もちろんCDも!)

ぜひ、聴いたことがない方も聴いていただきたいですね!

余談ですが、
イアン・カーチス、生きていたら今年60歳、還暦なんですね。
時の流れは速い・・・。

最後にイアン・カーチスに一言、聞いてみたい。

「バーナード・サムナーとピーター・フックが喧嘩して
ニュー・オーダーも分裂したけど、どう思う?」


次回はオアシス。

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★独特な世界観に虜になるはず!★




(本日も読んでいただいてありがとうございました)


(TOCANA・ウィキペデイア・バンド臨終図巻)
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